ハバロフスク橋


ウィキメディアプロジェクトへの貢献者

Article Images

座標: 北緯48度32分10秒 東経135度00分00秒 / 北緯48.53611度 東経135.00000度

ハバロフスク橋(はばろふすくきょう、ロシア語:Хабаровский мост)は、ロシア極東ハバロフスク地方を流れるアムール川に架かる橋である。1998年に完成した。アムール川鉄橋アムール鉄橋アムール大橋とも呼ばれる[1]

現在のハバロフスク橋
ハバロフスクI駅-ビロビジャンI駅

LSTR

( ハバロフスクII駅、ヴャーゼムスカヤ駅、ウラジオストク駅方面)

BHF

8522 ハバロフスクI駅

SKRZ-Ao

ул. Серышева
exKBSTaq eABZglr exKBSTeq
Депо, Хабаровск-Пристань

SPLa

8520

vSKRZ-Au

ул. Тихоокеанская
vSTRl-SHI1ro STR+r
8517
HST STRf
8518 セヴェルナヤ駅(Северная)
tSTRa tSTRa
8516 アムール川トンネル(ru)
tSTR+l tKRZt tSTRr
ул. Уборевича
tSTRf tBHFe@g
8515 アムール駅Амур
tKRZW hKRZWa WASSERq
8512 ハバロフスク橋アムール川渡河)
ハバロフスク地方
ユダヤ自治州
tSTRf hSTRe exKBSTa
5 ポクロフカ・プリスタニ駅Покровка-Пристань
tSTRe HST exSTR
8511 テリマナ駅Тельмана
STRl ABZg+rxl exSTRr

HST

8510
0
ポスト・ポクローフスキー駅Пост Покровский
v-WASSER DSTR vWASSER-
озеро Большое

SKRZ-Au

M58幹線道路(ru) (ハバロフスク - チタ

BHF

8506 プリアムールスカヤ駅Приамурская

HST

8504 エントゥジアストフ駅Энтузиастов

HST

8496 ニコラエフカ駅Николаевка

HST

8493 クリューチェヴァヤ駅Ключевая

HST

8491 ソフホーズナヤ駅Совхозная

BHF

8485 デジニョフカ駅Дежнёвка
LSTRq ABZgr+r
( ヴォロチャーエフカII駅, コムソモリスク・ナ・アムーレ駅方面)

HST

8480 ツングースキー駅Тунгусский

HST

8474 ヴォロチャーエフカI駅(ru)

HST

8449 オリゴフタ駅Ольгохта

BHF

8422 イン駅Инスミドヴィチ(en)

HST

8393 アウル駅Аур

HST

8366 イクラ駅Икура

SKRZ-Au

8365 M58幹線道路(ru) (ハバロフスク - チタ
WASSERq WBRÜCKE1 WASSERq
8355 イクラ川р. Икура

eBST

8366 ビロビジャンIII駅Биробиджан III
ABZg+l LSTRq
( ビロビジャンII駅Биробиджан II), レーニンスク駅Ленинск)方面)

BHF

8351 ビロビジャンI駅Биробиджан I

LSTR

( イズヴェストコーヴァヤ駅、モスクワ方面)

歴史

編集

 
初代ハバロフスク橋(建設時)
 
初代ハバロフスク橋の残存部分

初代

編集

1916年、ラヴル・プロスクリャコフ英語版の設計でアムール川に最初の鉄橋が架けられた。これにより、シベリア鉄道が全線開通した。それまでは清国を通る東清鉄道を"暫定的"なシベリア鉄道としていた。単線ながら全長2.5kmを超える長さは、ロシア帝国、ソヴィエト連邦の歴史を通じて最長の鉄橋であった。

1941年、スターリンの指示により、川底を通る全長7kmのハバロフスク・アムール川底トンネルが掘られ、この区間は複線化された。このトンネルはグラグ(強制収用所)の囚人を多数動員して極秘に建設された。

二代目

編集

 
5000ルーブル紙幣に描かれたハバロフスク橋
 
単線時の鉄道部分(2005年)
 
道路部分(2010年)
 
新橋桁完成時(1998年7月)
 
旧橋桁撤去時(2002年6月)

1998年6月、新しい橋が旧橋のすぐ脇に完成した。全長2598mで橋脚数は26、形式はトラス橋である。新橋は2層式の鉄道道路併用橋になっていて、下層部に鉄道、上層部に2車線の自動車道路(シベリア横断道路の一部を構成するM58アムール幹線道路)が通っている。鉄道の運行は1998年6月より開始され、開業時は、単線運行でウラジオストク駅方面に向かう列車がこちらを通り、モスクワ方面に向かう列車は川底トンネルを使用した。2009年11月より複線運行が開始された。道路部分は1999年より使用を開始した。

旧橋の橋脚は残っているが、橋桁は解体された。橋桁の1スパンは近くのアムール川鉄橋歴史博物館に保存されている。ここでは、以前は極秘とされた川底トンネルの設計図など貴重な資料を見ることが出来る[2]

脚注

編集

参考文献

編集

  • 地球の歩き方(A 32)シベリア&シベリア鉄道とサハリン』ダイヤモンド・ビッグ社 /ダイヤモンド社
  • 藤原浩『ユーラシア・ブックレットNo.118 シベリア鉄道 -洋の東西を結んだ一世紀-』東洋書店

関連項目

編集

外部リンク

編集