ブラソ・デ・オロ


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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアルバラード第二姓(母方の)はニエベスです。

ブラソ・デ・オロBrazo de Oro1959年10月7日 - 2017年4月28日)は、メキシコプロレスラーメキシコメキシコシティ出身。ブラソ・デ・オロとは日本語で『金の腕』の意味を持つ。そのために右腕には金色のサポーターをしている。本名:ヘスス・アルバラード・ニエベスJesús Alvarado Nieves)。元妻はレディ・アパッチェ

ブラソ・デ・オロ
プロフィール
本名 ヘスス・アルバラード・ニエベス
ニックネーム 金腕戦士
身長 170cm
体重 100kg
誕生日 1959年10月7日
死亡日 2017年4月28日(57歳没)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
メキシコシティ
所属 CMLL
トレーナー ハム・リー
シャディト・クルス
デビュー 1975年
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来歴

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父やハム・リーにルチャリブレのいろはを学び、1975年にメキシコシティでデビュー。三男のデビューでタッグチーム『ロス・ブラソス』結成。次男がデビューしてからはトリオのチーム『ロス・モスケテロス・デル・ディアブロ』を結成。1984年7月からはルードに転向。1981年8月には新日本プロレス『ブラティー・ファイト・シリーズ』、1985年1月には全日本プロレス『激突!!・オールスター・ウォーズ』に三男と共に来日を果たす。全日来日時にはグラン浜田と抗争を繰り広げた。1988年10月ビジャノ一家にマスカラ戦で破れ兄弟共々に素顔になる。1990年11月から1993年6月頃まで定期的に三男と共にユニバーサル・プロレスリングに来日。1991年6月からEMLLに移籍しリンピオに転向。2006年11月には無我に兄弟で来日した。2007年5月『ウルティモ・ドラゴン20周年記念&闘龍門メキシコ10周年記念』興行に参戦。

晩年はCMLLのスタッフ兼選手のような形になっていた。

2017年4月28日、心不全により死去。66歳没[1]

家系

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シャディト・クルス
ブラソ・デ・プラタブラソ・デ・オロレディ・アパッチェエル・ブラソ
ブラソ・シベルネティコスペル・ブラソラ・マスカラブラソ・デ・プラティーノ
サイコ・クラウンマキシモインディア・スーダナーゴヤエル・ブラソ・ジュニア

得意技

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タイトル歴

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  • 連邦区ヘビー級王座 : 2回
  • 連邦区ウェルター級王座 : 1回
  • ナウカルパンウェルター級王座 : 1回
  • UWA世界タッグ王座 : 1回
  • WWA世界タッグ王座 : 1回
  • NWAアメリカタッグ王座 : 1回
  • ロス世界タッグ王座 : 1回
  • プエブラタッグ王座 : 1回
  • メキシコナショナルタッグ王座 : 1回
  • UWA世界6人タッグ王座 : 3回
  • CMLL世界トリオ王座 : 2回
  • WWA世界6人タッグ王座 : 1回
  • 連邦区トリオ王座 : 1回
  • メキシコナショナルトリオ王座 : 2回
  • FILLトリオ王座 : 1回

脚注

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[脚注の使い方]

  1. ^ CMLL公式Twitter”. CMLL. 2021年10月18日閲覧。