上長磯町


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上長磯町(かみながいそまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2165[2]。2013年現在の面積は0.58km2[4]

上長磯町

上長磯町の位置(群馬県内)

上長磯町

上長磯町

北緯36度22分36秒 東経139度7分4秒 / 北緯36.37667度 東経139.11778度
日本
都道府県 群馬県旗 群馬県
市町村 前橋市の旗 前橋市
面積
 • 合計 0.58 km2
人口

2017年(平成29年)8月31日現在)[1]

 • 合計 698人
 • 密度 1,200人/km2
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号

379-2165[2]

市外局番 027[3]
ナンバープレート 前橋

地理

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桃ノ木川右岸に位置している。

河川

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  • 桃ノ木川

歴史

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江戸時代頃からある地名であり、前橋藩領だった。もとは下長磯村(現・下長磯町)と一村で「長磯村」と称していた。

年表

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  • 元禄15年(1702年) - 元禄郷帳に上長磯村と下長磯村が別に記述されている。寛文8年(1668年)の「上野国郷帳」では長磯村として記述されるため、この間に分村されたとみられる[7]
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制施行により、上長磯村は天川大島村、上大島村、女屋村、東上野村、野中村、下長磯村、小島田村、小屋原村、下大島村、笂井村、上増田村、下増田村、駒形新田と合併南勢多郡木瀬村が成立する。
  • 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
  • 昭和30年(1955年)4月1日 - 木瀬村の一部の天川大島、上大島、女屋、上長磯、東上野、野中が前橋市へ編入される。そのため前橋市上長磯町となる。

地名の由来

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昔、この辺りを利根川が流れていた頃、川岸の磯であったからという[8]

世帯数と人口

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2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
上長磯町 285世帯 698人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

番地 小学校 中学校
全域 前橋市立永明小学校 前橋市立木瀬中学校

交通

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鉄道

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鉄道駅はない。

バス

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道路

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国道国道50号が通っていて、県道は通っていない。

施設

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出典

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[脚注の使い方]

  1. ^ a b 人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 第2章 人口 - 前橋市 2016年04月08日閲覧。
  5. ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 52–53.
  6. ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
  7. ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 58–61.
  8. ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 863.
  9. ^ 前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
  10. ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1231.

参考文献

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  • 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883NCID BN1378655X
  • 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
  • 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。