中島和也
ウィキメディアプロジェクトへの貢献者
Article Images中島 和也(なかじま かずや、1963年12月15日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。
Kazuya NAKAJIMA | |
---|---|
基本情報 | |
名前 | 中島 和也 |
生年月日 | 1963年12月15日(60歳) |
身長 | 172 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 68 kg (150 lb) |
出身地 | 群馬県桐生市 |
経歴 | |
2012年9月9日現在 | |
テンプレートを表示 |
実父の中島巌に[1]2歳の時からゴルフの手ほどきを受け、早くから頭角を表すと、厳しい練習の甲斐あってジュニア、アマチュア時代は数々のタイトルを獲得し日本代表としても活躍[2]。
1986年にはハワイパールオープンのアマチュア部門を74、70、67、5アンダーの好成績で優勝し[3]、兄の常幸が優勝した美津濃オープンではベストアマを獲得[4]。
その後はプロテストにトップ合格を果たし、1988年にはハワイパールオープンで文山義夫・中尾豊健と並んでの7位タイ[5]に入り、帰国後には開幕第1戦の第一不動産カップでいきなり優勝[1]。デビュー戦勝利という史上初の出来事であったが、その直後からスランプに落ち、「プロのスウィングではない」と酷評される[1]。ティグラウンド脇のギャラリーにライナーで打ち込んだことも再三で、「和也を見るのは命がけ」と揶揄されたこともあった[1]。体の故障もあったが、スウィングイップスが不調の主な原因で、最後にはテークバックさえ上がらなくなった[1]。
1991年から1995年にかけてはアメリカミニツアーを転戦しながら、ゴルフ倶楽部運営等を学ぶ[2]。その内に巌が始めたゴルフ場造成に関わるようになり[1]、現在は東松苑ゴルフ倶楽部、五浦庭園カントリークラブなどでの経営者職、レッスンも行う傍ら、2010年に就任した日本ゴルフツアー機構ディレクター[1]やプロトーナメント競技委員としても活躍[2]。
- 1988年 - 第一不動産カップ
- 未来への扉 中島和也 Style Neo-Athlete