出目昌伸


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(2024年1月)

出目 昌伸(でめ まさのぶ、1932年10月2日 - 2016年3月13日)は、日本映画監督滋賀県八日市市(現:東近江市)出身。滋賀県立八日市高等学校早稲田大学文学部卒業。

でめ まさのぶ
出目 昌伸
生年月日 1932年10月2日
没年月日 2016年3月13日(83歳没)
出生地 滋賀県八日市市(現:東近江市
職業 映画監督
受賞
日本アカデミー賞
優秀監督賞
1995年きけ、わだつみの声 Last Friends
その他の賞
日本映画監督協会新人賞
1969年俺たちの荒野
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人物・来歴

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1957年東宝入社。黒澤明松林宗恵堀川弘通古澤憲吾らの助監督を務め、1968年、内藤洋子主演の『年ごろ』で監督に昇進。その後、『俺たちの荒野』『その人は女教師』など、それまでの東宝青春映画とは一線を画す作品を監督する。

東宝退社後の1980年代中盤からは、東映吉永小百合主演による『天国の駅』『玄海つれづれ節』、織田裕二仲村トオル風間トオルら若手スターによる反戦映画『きけ、わだつみの声』、岩下志麻と吉永小百合の2大女優初競演が話題となった『霧の子午線』など、大作映画を次々と手がける。2006年、『バルトの楽園』で10年ぶりにメガホンをとり、健在振りをアピールした。

2016年3月13日、膵臓癌のため死去[1]。83歳没。

映画作品

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監督

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テレビ作品

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監督

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脚注

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  1. ^ “出目昌伸氏が死去 映画監督”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年3月13日) 2024年1月29日閲覧。
 

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