勧修寺婧子
母はあるいは家女房。光格天皇の典侍・女院。従三位、贈准三宮・准后。子に多祉宮(1808.1.29-6.23、次女、善行院)、娍宮(1817.11.3-1819.1.31、四女、波類宮、尊勝光院宮)
勧修寺 婧子(かじゅうじ ただこ、安永9年11月6日(1780年12月1日) - 天保14年3月21日(1843年4月20日))は、光格天皇の典侍で、仁孝天皇の生母。
勧修寺 婧子 | |
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続柄 | 光格天皇典侍、仁孝天皇生母 |
称号 | 東京極院 |
身位 | 典侍、従三位、准三宮・女院(追贈) |
出生 |
安永9年11月6日(1780年12月1日) |
死去 |
天保14年3月21日(1843年4月20日)(享年64) |
配偶者 | 光格天皇 |
子女 | 仁孝天皇、皇女(多祉宮)、皇女(娍宮) |
父親 | 勧修寺経逸 |
母親 | 池田数計子あるいは家女房 |
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幼名は操(みさお)、別名に冬子。号に、新典侍(しん てんじ)、宰相典侍(さいしょう てんじ)、権中納言典侍(ごんちゅうなごん てんじ)、三位局(さんみの つぼね)など。寛政4年10月24日(1792年)、光格天皇の後宮に入り、典侍となった。天保13年12月1日、従三位。
仁孝天皇の系譜 |
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- 藤井讓治/監修・解説『天皇皇族実録 130 光格天皇実録』(ゆまに書房、2006.10)
- 東京大学史料編纂所所蔵『光格天皇実録 巻八』p.2472-2473
- 東京大学史料編纂所所蔵『勧修寺家譜』
- 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 864