南盛義


ウィキメディアプロジェクトへの貢献者

Article Images

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?"南盛義" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2017年8月)

南 盛義(みなみ もりよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将南氏3代当主。陸奥国浅水城主。

南盛義
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正18年(1590年
別名 慶儀、盛秀
官位 弾正少弼
主君 南部信直
氏族 清和源氏南部氏[1]南氏
父母 南康義
兄弟 義晴盛義康政直義
南部晴政
テンプレートを表示

略歴

編集

南康義の次男として誕生。兄・義晴が若くして死去したため家督を継ぐ。正室は南部晴政娘。

天正18年(1590年)、九戸政実の乱が発生すると、居城・浅水城が九戸方の櫛引氏の攻撃を受けたため、櫛引氏と争う(法師岡の合戦)。緒戦を制して敗走する敵の追撃に移るが、その後は櫛引方の伏兵作戦で前後を挟撃されて弟・康政と共に討死した。

死後、家督は末弟の直義(信義)が継いだ。

脚注

編集

[脚注の使い方]

  1. ^ 太田亮姓氏家系大辞典 第2巻』姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2107頁。