忽那賢志


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忽那 賢志(くつな さとし、1978年12月7日 - )は、日本の医師医学者大阪大学大学院医学系研究科 感染制御学 第3代教授[3]大阪大学医学部附属病院 感染制御部 部長(併任)。学位博士(医学)山口大学2010年[4]東京大学医学部 非常勤講師[5]なども務める。

忽那 賢志くつな さとし

2022年

生誕 1978年12月7日(45歳)[1]
日本の旗 福岡県北九州市
研究分野 感染症学
ウイルス学
研究機関 大阪大学大学院医学系研究科
大阪大学感染症総合教育研究拠点
国立国際医療研究センター
出身校 福岡県立小倉高等学校
山口大学医学部
主な受賞歴Yahoo!ニュース 個人」 オーサーアワード2020 [2]
など
プロジェクト:人物伝
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人物

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専門は感染症学で、新興感染症再興感染症輸入感染症などの治療・研究に尽力している。

10歳のとき実父が白血病で他界。多くの人を病から救いたいと医師を志し山口大学医学部医学科へ進学した。山口大学卒業後の初期研修の際、感染症の研究治療に出会い、自ら進む道と決意して現在に至っている[6]

2020年初頭頃からの新型コロナウイルス感染症の世界的流行の際には、それまでの知識、経験を活かして連日マスメディアなどに出演。X(旧Twitter)のフォロワー数は約23万人(2024年3月現在)で、日本で著名な医師のひとりである[7][8]

経歴

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1997年福岡県立小倉高等学校 卒業。山口大学医学部医学科へ入学。2004年、同大卒業後、 国立病院機構関門医療センターの初期研修医となる。 2006年山口大学医学部附属病院 先進救急医療センターに勤務。2008年奈良県立医科大学附属病院 感染症センター 医員に着任。2010年市立奈良病院 感染症科 医長に着任。

2012年臨床感染症学で名高い大曲貴夫が在籍する国立国際医療研究センター 国際感染症センターのフェローに着任した。2013年、同センター 国際感染症センター 医員。2015年、同センター 国際診療部 副部長となり、2017年、同センター 内科プログラム責任者を併任。2018年、同センター 国際感染症センター 国際感染症対策室 医長に昇進した。

2021年7月1日大阪大学医学部附属病院 感染制御部 部長、大阪大学大学院医学系研究科 感染制御学 第3代教授(併任)に着任した。

テレビ番組・ニュース特集

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著書

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所属学会

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関連項目

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脚注

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[脚注の使い方]

  1. ^ 忽那賢志(感染症医)情熱大陸”. MBS毎日放送 (2020年10月11日). 2020年10月11日閲覧。
  2. ^ Yahoo!ニュース 個人「オーサーアワード2020」 感染症専門医の忽那賢志氏が受賞”. ヤフー株式会社 (2020年12月21日). 2020年12月21日閲覧。
  3. ^ 忽那 賢志 教授(感染制御学)が着任しました”. 大阪大学医学系研究科 (2021年7月1日). 2021年7月1日閲覧。
  4. ^ CiNii 博士論文 - コリン作動薬・フィゾスチグミンはラット前脳虚血再灌流モデルにおいて頸静脈血中スーパーオキシドアニオンラジカルの産生、酸化ストレス、早期炎症反応、血管内皮障害を抑制する”. CiNii (2010年10月1日). 2021年6月19日閲覧。
  5. ^ 母子保健学(発達医科学分野)”. 東京大学医学部 (2024年4月26日). 2024年4月26日閲覧。
  6. ^ 感染症研究の忽那賢志教授が箕面キャンパスに!「ハンダイラジオ21世紀懐徳堂の社学共創」”. タッキー816みのおエフエム (2023年12月31日). 2023年12月31日閲覧。
  7. ^ 感染症専門家・忽那賢志さん コロナ禍で貫く信念と意外な素顔”. 毎日新聞 (2023年8月27日). 2023年8月27日閲覧。
  8. ^ 新型コロナ対策発信の忽那教授をSNSで中傷 投稿者に賠償命令 [大阪府]”. 朝日新聞デジタル (2023年12月19日). 2023年12月19日閲覧。

外部リンク

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