柳家権太楼 (3代目)


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(2019年3月)

三代目 柳家 権太楼(やなぎや ごんたろう、1947年1月24日 - )は、東京都北区出身の落語家である。本名:梅原 健治。落語協会所属、同協会相談役。出囃子は『金比羅船々』。

三代目 柳家やなぎや 権太楼ごんたろう
Yanagiya Gontarô the 3rd
三代目 柳家(やなぎや) 権太楼(ごんたろう) Yanagiya Gontarô the 3rd
2012年3月19日、芸術選奨贈呈式にて
本名 梅原うめはら 健治けんじ
生年月日 1947年1月24日(77歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
師匠 五代目柳家つばめ
五代目柳家小さん
弟子 三代目柳家甚語楼
柳家我太楼
三代目柳家東三楼
柳家燕弥
柳家権之助
柳家福多楼
名跡 1. 柳家ほたる
(1970年 - 1975年)
2. 柳家さん光
(1975年 - 1982年)
3. 三代目柳家権太楼
(1982年 - )
出囃子 金比羅船々
活動期間 1970年 -
活動内容 古典落語
公式サイト 柳家権太楼 WEB-GON
受賞歴
1978年11月∶NHK新人落語コンクール優秀賞
1980年1月∶昭和54年度日本演芸大賞ホープ賞
1987年2月∶昭和61年度若手演芸大賞
2011年∶平成23年度(第62回)芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞
2013年紫綬褒章受賞
備考
落語協会理事付役員(2001年 - 2006年)
落語協会常任理事(2006年 - 2010年)
落語協会監事(2014年 - 2020年)
落語協会相談役(2020年 - )
柳家権太楼定紋「くくり猿」

現在の落語界を代表する爆笑派。十八番の『代書屋』で知られる。

来歴

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明治学院大学落語研究会で活躍。大学卒業後の1970年4月1日、五代目柳家つばめに弟子入り。前座名柳家ほたるを名乗る。前座時代には立川寸志林家種平林家公平の4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。1974年9月に師匠つばめが死去したため、大師匠である五代目柳家小さん門下に直る。

1975年11月、古今亭八朝林家らぶ平と共に二ツ目昇進。柳家さん光と改名した。1980年代の落語協会では真打昇進試験が導入されていたが、さん光には抜擢昇進のチャンスが与えられた。異例の「抜擢試験」が行われ、これに合格する[1]

1982年9月に18人抜きで真打に昇進し三代目柳家権太楼を襲名した。1982年当時の落語界において、古今亭志ん朝春風亭小朝(ともに36人抜き)に次ぐ3位であり、2019年現在は四代目三遊亭圓歌と並んで歴代7位タイの記録である。

2001年、落語協会常務理事に就任。2010年に退任。2014年、落語協会監事に就任。2020年8月に監事を退任し、相談役に就任した。

芸歴

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役職

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  • 2001年10月 - 落語協会理事付役員
  • 2006年6月 - 落語協会常任理事
  • 2010年 - 常任理事退任
  • 2014年 - 落語協会監事
  • 2020年8月 - 落語協会相談役

人物

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演目

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廓噺

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政談

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受賞歴

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弟子

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真打

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元弟子

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著書

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出演

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脚注

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  1. ^ 弘文出版『落語』1988年第27号特大号 P13より
  2. ^ 平成25年秋の褒章受章者(東京都)” (PDF). 内閣府. p. 2 (2013年11月3日). 2014年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月28日閲覧。
  3. ^ ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月6日閲覧。

外部リンク

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