滝亭鯉丈
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Article Images滝亭 鯉丈(りゅうてい/たきてい りじょう、生年不詳 - 1841年7月27日(天保12年6月10日))は、江戸時代後期に活躍した戯作者である。本姓は池田氏、通称は八右衛門、後に八蔵。
江戸幕府の300石の旗本、池田氏の一家として江戸に生まれる[1]。下谷広徳寺門前稲荷町に住み、1821年(文政4年)頃に浅草伝法院裏門前、1834年(天保5年)頃に浅草諏訪町河岸に転居する[1]。生業は、浅草の東本願寺の乗物師や縫箔職人、象牙職人、櫛屋等の諸説があるが[1]、不明である。落語家の滝亭鯉楽の弟子となり、寄席芸人として活躍、新内節三絃や一中節の名手でもあった[1]。
1817年刊『栗毛後駿足』にはじまり、『花暦八笑人』『滑稽和合人』『浮世床』三編などの文業によって、十返舎一九や式亭三馬と並び、滑稽本の代表的な作者の一人となった[1]。また、同時期に活躍していた為永春水と『明烏後正夢』を刊行し、本作は人情本の嚆矢となった[1]。鯉丈を春水の実兄とする説があったが、現在では婚姻に伴う義兄弟説が濃厚である[1]。
- 滝亭鯉丈墓 - 東京都文化財情報データーベース