1920年アントワープオリンピックのラグビー競技


ウィキメディアプロジェクトへの貢献者

Article Images

1920年のオリンピックのラグビー競技(1920ねんアントワープオリンピックのラグビーきょうぎ)はベルギーアントワープで行われた。フランスアメリカの2ヶ国が参加した。フランスが金メダルを獲得すると考えられ高い人気を集めたが、アメリカが8-0でフランスを破り周囲を驚かせた[1]

1試合のみ、アメリカとフランス間で行われた。アメリカのチームはカリフォルニア大学、特にスタンフォード、カリフォルニア、サンタクララからのアメリカンフットボール選手で構成されていた。アメリカンフットボールがだんだんと暴力的なスポーツになったため、これらの大学および西海岸の大学は1906年-1914年からラグビーをすることを選択した[2][3][4]

一方でフランスのチームはパリ近くの4つのクラブ、Racing ClubOlympique、Club Athlétique des Sports Généraux、Sporting Club Universitaireの選手で構成されていた。

アメリカの選手Rudy Scholzは試合について次のように書いている。

午後5時(全ての大きな試合をする時間)に始まり、雨が降っていたにもかかわらず約2万人の観客が集まった。作戦会議で我々はグラウンドが濡れて滑りやすくボールも同じ状況だったのでフォワードゲームにすることにした。フランスはバックフィールドゲームを試し速さはあったが敗れた。滑りやすいボールとフィールドが彼らの敗北となった・・・[5]

オリンピックの後、アメリカのチームは1924年にイングランドとフランスを回り1924年のオリンピックへの準備としてイングランドで3試合行った[6][7]

9月19日、リヨンでアメリカがフランス南東代表を26-0で破った。アメリカのチームはフランス南部のチーム(トゥールーズ)とボルドーの南西にも勝利を収めた。のちにパリでフランスに14-5で敗れている[5]


アメリカ合衆国   8–0 フランス   アントワープオリンピスフ・スタディオン
観客数: 55,000人
トライ: Hunter
コンバート: Templeton
PK: Templeton
Report
チームの詳細

USA

France

Dink Templeton FB 15 FB André Chilo
Charles Tilden (c) W 14 W Grenet
Heaton Wrenn C 13 C François Borde
John Patrick C 12 C René Crabos (c)
Erwin Righter W 11 W Édouard Bader
Rudolph Scholz FH 10 FH Adolphe Bousquet
Charles Mehan SH 9 SH Raoul Thiercelin
George Fish N8 8 N8 Robert Levasseur
Charles Doe F 7 F Alphonse Castex
Daniel Carroll F 6 L Alfred Eluère
モリス・カークシー L 5 L Jean Bruneval
Joseph Hunter L 4 L Maurice Labeyrie
James Fitzpatrick H 3 P Curtet
John O'Neil H 2 H Pierre Petiteau
John Muldoon P 1 P Jacques Forestier
順位 チーム 試合数 平均点 トライ数 平均トライ数
USA 1 8 8 1 1
FRA 1 0 0 0 0
なし

ラグビーコミッショナーでカリフォルニアラグビーユニオンの会長であるHarry Maloneyがチームのコーチ兼トレーナーであった。

  • James FitzpatrickはIOCメダルデータベースにはいないが、試合には出場している。
  • James WinstonはIOCメダルデータベースに入っているが、試合に参加していない。
  • Bill Muldoonもアメリカのチームのメンバーであったが出場していない(IOCメダルデータベースにも入っていない)。
  • Raymond BerrurierはIOCメダルデータベースに入っているが出場していない。
  • Constant Lamaignière, Eugène Soulié, およびRobert Thierryはフランスチームのメンバーであったが、プレーしなかった(IOCメダルデータベースにも入っていない)。
  • モリス・カークシー4 x 100mリレーにも出場し金メダルを獲得した。
  1. ^ Rugby in the Olympics on University of Idaho website
  2. ^ “Many changes in rugby game”. The Evening News (San Jose). (September 14, 1906) November 10, 2010閲覧。
  3. ^ Elliott, Orrin Leslie (1937). Stanford University – The First Twenty Five Years 1891–1925. Stanford, California: Stanford University Press. pp. 231–233. ISBN 9781406771411 November 10, 2010閲覧。
  4. ^ Park, Roberta J (Winter 1984). “From Football to Rugby—and Back, 1906–1919: The University of California–Stanford University Response to the "Football Crisis of 1905"”. Journal of Sport History 11 (3): 5–40. オリジナルの2010年8月7日時点におけるアーカイブ。 2019年10月12日閲覧。.
  5. ^ a b 1920年アントワープオリンピックのラグビー競技 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
  6. ^ Gallagher, Brendan (15 May 2016). “Olympic spirit was forgotten amid violence and acrimony”. The RugbyPaper (400): pp. 32–3
  7. ^ 1924 Rugby: A Wild Olympic Rematch”. 18 May 2016閲覧。