1993年のロードレース世界選手権
ウィキメディアプロジェクトへの貢献者
Article Images1993年の FIMロードレース世界選手権 |
|||
前年: | 1992 | 翌年: | 1994 |
1993年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第45回大会である。
シーズンの概要
昨年、一昨年に続きまたしてもポイント制の変更があり、前年度1~10位だった入賞圏内は再び15位にまで拡大された。有効ポイントは導入されず、純粋にポイントの総合計でランキングが争われることとなった。
この年もケビン・シュワンツとウェイン・レイニーの2人がタイトル争いの中心となったが、以前とは違いシュワンツが安定してポイント重ねる一方、レイニーがこれを追い上げるという、今までとは逆のパターンで展開された。
シュワンツは前半で4勝を挙げシーズンを有利に進めていたが、第8戦ヨーロッパGP以降シュワンツがもたつく間にレイニーが巻き返し、またシュワンツがイギリスGPで手首を負傷したことなどもあり、第11戦チェコGPが終わった時点ではレイニーがポイントを逆転していた。そして迎えた第12戦イタリアGPで、レイニーはトップ独走中に転倒を喫する。この転倒で彼は脊椎に重大な損傷を受け、レーシングライダーとしての競技生命を絶たれてしまう。
これにより再び逆転したシュワンツは悲願のタイトルを獲得することとなったが、幾多の名勝負を重ねてきた最大のライバルであるレイニーを残酷な形で失ったシュワンツは「彼の怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」と発言し、初のタイトルを獲得した喜びよりもライバルを失った落胆の気持ちを表した。レイニーのクラッシュは、アメリカン・ライダーがグランプリを席巻する時代の終わりをも意味していた。
一方、ミック・ドゥーハンは前年の脚の負傷による深刻な状態から徐々に回復し、第9戦サンマリノGPで復活勝利を挙げた。また、ダリル・ビーティとアレックス・バロスはグランプリ初勝利を飾った(バロスはトップ走行中のクラッシュを2度体験した末の勝利だった)。フレディ・スペンサーは2度目のカムバックに挑んだが、最初の3レースで2度のクラッシュという結果に終わった。
ホンダのワークスチームは3台目のマシンとしてメーカーのテストライダーである伊藤真一をエントリーさせたが、彼のマシンはストレートでずば抜けて速かったことから新開発の電子制御式フュエール・インジェクション・システムが搭載されているのではないかと噂された。伊藤がホッケンハイムで200mph(約320km/h)の壁を破ったことが、この噂に信憑性を与えた。[1]
250ccクラスでは、前年に全日本選手権でタイトルを獲得した原田哲也がフル参戦を開始。シーズン序盤から素晴らしい走りを展開し、ロリス・カピロッシとの熾烈な争いを制してフル参戦初年にもかかわらずタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。また、ジョン・コシンスキーがスズキに移籍し参戦したが、思うように熟成が進まないチームとマシンの現状に業を煮やしシーズン途中でチームを離脱。そのスズキはこの年加入した若井伸之がスペインGPで不慮の事故により死去するという悲劇に見舞われた。
125ccクラスではホンダに乗るドイツ人プライベーター、ダーク・ラウディスが9勝を挙げてタイトルを獲得。坂田和人と辻村猛がランキング2位、3位で続き、上位6人中4人を日本人ライダーが占めた。
GP
ラウンド | GP | サーキット | 125ccクラス優勝 | 250ccクラス優勝 | 500ccクラス優勝 |
---|---|---|---|---|---|
1 | オーストラリア | イースタン・クリーク | ダーク・ラウディス | 原田哲也 | ケビン・シュワンツ |
2 | マレーシア | シャー・アラム | ダーク・ラウディス | 青木宣篤 | ウェイン・レイニー |
3 | 日本 | 鈴鹿 | ダーク・ラウディス | 原田哲也 | ウェイン・レイニー |
4 | スペイン | ヘレス | 坂田和人 | 原田哲也 | ケビン・シュワンツ |
5 | オーストリア | ザルツブルクリンク | 辻村猛 | ドリアーノ・ロンボニ | ケビン・シュワンツ |
6 | ドイツ | ホッケンハイム | ダーク・ラウディス | ドリアーノ・ロンボニ | ダリル・ビーティ |
7 | オランダ(ダッチTT) | アッセン | ダーク・ラウディス | ロリス・カピロッシ | ケビン・シュワンツ |
8 | ヨーロッパ | カタロニア | 上田昇 | マックス・ビアッジ | ウェイン・レイニー |
9 | サンマリノ | ムジェロ | ダーク・ラウディス | ロリス・カピロッシ | ミック・ドゥーハン |
10 | イギリス | ドニントン | ダーク・ラウディス | ジャン・フィリップ・ルジア | ルカ・カダローラ |
11 | チェコ | ブルノ | 坂田和人 | ロリス・レジアーニ | ウェイン・レイニー |
12 | イタリア | ミサノ | ダーク・ラウディス | ジャン・フィリップ・ルジア | ルカ・カダローラ |
13 | アメリカ | ラグナ・セカ | ダーク・ラウディス | ロリス・カピロッシ | ジョン・コシンスキー |
14 | FIM | ハラマ | ラルフ・ウォルドマン | 原田哲也 | アレックス・バロス |
最終成績
500ccクラス順位
|
太字:ポールポジション |
250ccクラス順位
|
太字:ポールポジション |
125ccクラス順位
|
太字:ポールポジション |
エントリーリスト
500ccクラス
|
|
|
|
脚注
[脚注の使い方]
- ^ 当初は全てのマシンをインジェクション仕様とする予定であったが、初戦でトラブルがあったため伊藤のマシンにのみ搭載して実戦開発を行った。(『Honda Motorcycle Racing Legend vol.2』八重洲出版 ISBN 978-4-86144-091-5 p.110より)
- ^ 250cc Grand Prix entry list for 1993 at Motorcycle Racing Online
- ^ 第4戦スペインの予選中に事故死。
- ^ 125cc Grand Prix entry list for 1993 at Motorcycle Racing Online