カンピドリオ


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(2017年6月)

カンピドリオ (Campidoglio) は、ローマの七丘の一つである。カピトリーノ (Capitolino) ともいい、古代ローマ時代にはラテン語カピトリヌス (Capitolinus) と呼ばれた。

カンピドリオ広場

この丘は、ローマの七丘でも最も高い丘で、ローマ神の最高神であったユーピテルユーノーの神殿(ユピテル・オプティムス・マキシムス、ユーノー、ミネルウァ神殿)があり、ローマの中心であり、現在もローマ市庁舎が位置する。

カンピドリオ広場

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現在の頂上には、ミケランジェロが設計したカンピドリオ広場 (Piazza del Campidoglio) があり[1]、中心にはマルクス・アウレリウス像、その周囲をカピトリーノ美術館コンセルヴァトーリ宮殿などが取り巻いている。また、ヴェネツィア広場側にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂がカンピドリオの丘に背を向けるように建っている。

ミケランジェロはカンピドリオ広場の設計にあたって、複数の異なった形の建物をひとつの明快な対称軸線上に統合することで、建築史上初めてバロック的広場を創案した。このランドスケープの設計手法は後に、ミケランジェロの後を引き継いだベルニーニによって、サン・ピエトロ広場においてより明確に示されることになる。

カンピドリオ広場のパノラマ写真。中央にマルクス・アウレリウス像のレプリカ。

ギャラリー 

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  • モザイクの床

  • カンピドリオを見上げて

  • サンタ・マリア教会へ続く階段

  • マルクス・アウレリウス像 (複製)

ローマの七つの丘 

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(パラティウム)

(ファグタル)

紀元前31年のローマの地図上に示した、ローマの七丘およびその他の主要地形の名称。都市を囲む黒点線はセルウィウス城壁

初期ローマの七丘
都市ローマ成立前に人が定住したと伝えられる七丘で、オッピウス(オッピオ)、パラティウム(パラティーノの東側)、ウェリア(ヴェーリア)、ファグタル(オッピオの一部)、ケルマルス(パラティーノの西側)、カエリウス(チェリオ)、キスピウスの7つである。
※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
ローマの七丘

詳細は「ローマの建国神話」を参照

都市ローマの起源となったローマの七丘は、アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、カエリウス(チェリオ)、エスクイリヌス(エスクイリーノ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ウィミナリス(ヴィミナーレ)の7つである。
※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
現代のローマ七丘
アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ホルトゥロルム(ピンチョ)、ヤニクルム(ジャニコロ)、オッピウス(オッピオ)の7つ[2]である。
※カッコ内は現代のイタリア語での表記。

脚注

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  1. ^ 池上英洋『神のごときミケランジェロ』新潮社、2013年、21頁。ISBN 978-4-10-602247-0
  2. ^ 「ローマ七丘」、『世界大百科事典』(平凡社)、1988年。

関連項目

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