マッツ・ビランデル


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マッツ・ビランデル(Mats Wilander、1964年8月22日 - )は、スウェーデン・ヴェクショー出身の元男子プロテニス選手。ビョルン・ボルグステファン・エドベリと並んで、スウェーデンの男子テニス界の黄金期を築いた3強豪のひとりである。4大大会でシングルス通算「7勝」を挙げ、ダブルスでも1986年ウィンブルドンで優勝した。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルス33勝、ダブルス7勝を挙げた。右利きの選手。

マッツ・ビランデル

Mats Wilander

マッツ・ビランデル

基本情報
フルネーム Mats Arne Olof Wilander
国籍  スウェーデン
出身地 同・ヴェクショー
生年月日 1964年8月22日(60歳)
身長 182cm
体重 77kg
利き手
バックハンド 両手打ち
殿堂入り 2002年
ツアー経歴
デビュー年 1981年
引退年 1996年
ツアー通算 40勝
シングルス 33勝
ダブルス 7勝
生涯通算成績 739勝349敗
シングルス 571勝222敗
ダブルス 168勝127敗
生涯獲得賞金 $7,976,256
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1983・84・88)
全仏 優勝(1982・85・88)
全英 ベスト8(1987-89)
全米 優勝(1988)
優勝回数 7(豪3・仏3・米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1984)
全仏 ベスト4(1985)
全英 優勝(1986)
全米 準優勝(1986)
優勝回数 1(英1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(1984・85・87)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(1988年9月12日)
ダブルス 3位(1985年10月21日)

1981年にプロ入り。1982年全仏オープンにて、17歳9ヶ月の若さで4大大会初優勝。その決勝戦ではアルゼンチンのベテラン選手、ギリェルモ・ビラスとの大熱戦を制し、大会初出場で初優勝を飾った。直後の1983年1月に先輩のビョルン・ボルグが突然の引退表明をしたため、ビランデルに対するスウェーデンのスポーツ界の期待が高まった。1983年1984年全豪オープンで大会2連覇を達成する。1985年までの全豪オープンは、「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで12月の年末に開催されていた。1985年には全仏オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たした。1986年はシングルス部門ではやや不振の年となったが、ウィンブルドンではヨアキム・ニーストロムと組んだダブルスで初優勝を飾っている。翌1987年は調子を取り戻し、全仏オープン全米オープンでは決勝に進出する。しかしどちらもイワン・レンドルに敗れてしまい、準優勝に終わった。

マッツ・ビランデルは1988年にキャリアの最盛期を迎え、ウィンブルドンを除く4大大会年間3冠を獲得した。全豪オープン決勝ではパット・キャッシュ全仏オープン決勝ではアンリ・ルコントを破り、それぞれの大会で地元選手の優勝を阻止している。ところが、最も苦手な芝生のウィンブルドンで、男子テニス界で“スウェーデン・キラー”と呼ばれてきたチェコスロバキアミロスラフ・メチージュに準々決勝で敗れ、年間グランドスラムのチャンスは消えた。4大大会年間最終戦の全米オープンでは、決勝でイワン・レンドルと「4時間55分」に及ぶ激戦を繰り広げて、悲願の大会初優勝を果たす。年間3冠獲得は1974年ジミー・コナーズ以来14年ぶりの快挙達成であった。ビランデルはこの勝利により、レンドルから世界ランキング1位のポジションを奪取した。

しかし1989年に入ると、ビランデルのテニス成績は急降下を始める。全豪オープンでは2回戦でインドラメシュ・クリシュナンに敗れ、全仏オープンでも準々決勝でソ連アンドレイ・チェスノコフに敗れ去る。年頭には1位だった世界ランキングも下降の一途をたどり、夏の終わりには5位に転落していく。そして全米オープンでは2回戦で当時18歳のピート・サンプラスに敗れ、一気に前年までの輝きを失っていった。1990年全豪オープンで準決勝に進出したものの、1988年当時の輝きはもう戻らなかった。

ビランデルは引退後、一時期マラト・サフィンのコーチを務めたこともあった。2002年国際テニス殿堂入りを果たし、現在は男子テニスのシニア・ツアーを転戦している(最初は35歳以上の現役引退選手が対象であったが、最近になってシニア・ツアー参戦の最低年齢が30歳に引き下げられた)。2003年からは、デビスカップのスウェーデン代表監督も務めている。

ビランデルと同年代に当たるステファン・エドベリ1996年に現役を引退した後は、スウェーデンテニス界は往時の輝きを取り戻せない状態になっている。

グランドスラムのクレー・芝・ハードコートの大会それぞれ2回以上優勝
他にラファエル・ナダルが記録。
全豪オープン3年連続決勝進出
イワン・レンドルノバク・ジョコビッチとタイ記録。
最年少全豪オープン優勝者
17歳9ヶ月
全仏オープン初参加初優勝
他にラファエル・ナダルが記録。
大会 対戦相手 試合結果
1982年 全仏オープン   ギリェルモ・ビラス 1-6, 7-6, 6-0, 6-4
1983年 全豪オープン   イワン・レンドル 6-1, 6-4, 6-4
1984年 全豪オープン   ケビン・カレン 6-7, 6-4, 7-6, 6-2
1985年 全仏オープン   イワン・レンドル 3-6, 6-4, 6-2, 6-2
1988年 全豪オープン   パット・キャッシュ 6-3, 6-7, 3-6, 6-1, 8-6
1988年 全仏オープン   アンリ・ルコント 7-5, 6-2, 6-1
1988年 全米オープン   イワン・レンドル 6-4, 4-6, 6-3, 5-7, 6-4
略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 SR W–L
全豪オープン A 1R A W W F NH A W 2R SF 4R A A 4R 1R A 3 / 10 36–7
全仏オープン A A W F SF W 3R F W QF A 2R A A 1R 2R 2R 3 / 12 47–9
ウィンブルドン A 3R 4R 3R 2R 1R 4R QF QF QF A A A A A 3R A 0 / 10 25–10
全米オープン A A 4R QF QF SF 4R F W 2R 1R A A 3R 1R 2R A 1 / 12 36–11
Win–Loss 0–0 2–2 13–2 18–3 16–3 17–3 8–3 16–3 25–1 10–4 5–2 4–2 0–0 2–1 3–3 4–4 1–1 7 / 44 144–37
タイトル
先代
  イワン・レンドル
世界ランキング1位
1988年9月12日 – 1989年1月29日
次代
  イワン・レンドル