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宮地 嚴夫(みやぢ いづを、弘化4年9月3日(1847年10月11日) - 大正7年6月15日(1918年6月15日))は、伊勢神宮禰宜、官幣大社枚岡神社少宮司、宮内省式部官兼主席掌典を歴任した。宮中・神社にかかわる諸儀礼を担当した。
土佐国高知に手嶋増魚の三男として生まれた。幼名を竹馬、後に功(いさを)と呼び、太左衛門と改め、更に嚴夫と改名した。道号を東嶽あるいは東嶽真逸と称した。
墓所は雑司が谷霊園にあり、公爵の九条道実篆額・掌典の佐伯有義撰・御歌所寄人阪正臣書の顕彰碑「宮地翁碑」が築かれている。
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