ゲーム機
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Article Imagesここでは、家庭用ゲーム機(据え置き型および携帯型)の時代・世代ごとの変遷について解説する[注 6]。ただしホビーパソコン(ゲームパソコン)およびゲーミングPC[9]は対象外とする。
家庭用ゲーム機ではないが、便宜上電子ゲーム機についても、携帯型の節で解説する。
1970年代前半 - 末を、この記事では「第1世代」とする。
- 第1世代の据置機
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オデッセイ
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ホーム・ポン
(テレゲームズ) -
テレビテニス
-
カラーテレビゲーム15
1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『オデッセイ』がリリースされた。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『ホーム・ポン』を1975年にリリースし、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小まで多数の玩具メーカーからリリースされた。日本ではオデッセイを発売したマグナボックスと提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが1976年に発売した『ブレイクアウト』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。
- オデッセイ(マグナボックス、1972年)
- ホーム・ポン(アタリ、1975年)
- テレビテニス(エポック社、1975年)
- テルスター(コレコ、1976年〜1978年)
- カラーテレビゲーム15、カラーテレビゲーム6(任天堂、1977年)
- ビデオピンボール(英語版)(アタリ、1977年)
- TV JACK(バンダイ、1977年〜1978年)
- TV FUN(トミー工業、1977年〜1978年)
- システム10(エポック社、1978年)
- カラーテレビゲーム レーシング112(任天堂、1978年)
- テレビ野球ゲーム(エポック社、1978年)
- テレビブロック(エポック社、1979年)
- カラーテレビゲーム ブロック崩し(任天堂、1979年)
- テレビベーダー(エポック社、1980年)
- コンピュータTVゲーム(任天堂、1980年)
1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。
- 第2世代の据置機
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チャンネルF
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Atari 2600
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VC 4000
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TV JACK アドオン5000
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TV JACK スーパービジョン8000
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インテレビジョン
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カセットビジョン
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Atari 5200
-
コレコビジョン
1976年、フェアチャイルドがチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった[10]。マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey2を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティーとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。北アメリカでは他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、ヨーロッパではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こした[11]。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。日本や南アメリカなどの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。
- チャンネルF(フェアチャイルド、1976年)
- Atari 2600(アタリ、1977年)
- Atari 2800(アタリ、1983年)
- ビデオカセッティ・ロック(タカトク、1977年)
- オデッセイ2(マグナボックス、1978年)
- VC 4000(インタートン、1978年)
- ビジコン(東芝、1978年)
- TV JACK アドオン5000(バンダイ、1978年)
- TV JACK スーパービジョン8000(バンダイ、1978年)
- インテレビジョン(マテル、1980年)
- カセットビジョン(エポック社、1981年)
- Atari 5200(アタリ、1982年)
- コレコビジョン(コレコ、1982年)
- Vectrex(GCE、1982年)
- 光速船(バンダイ、1983年)
- Emerson Arcadia 2001(エマーソン・ラジオ(英語版)、1982年)
- TVボーイ(学習研究社、1983年)
1980年代前半 - 後半を、この記事では「第3世代」とする。
- 第3世代の据置機
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ファミリーコンピュータ
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ファミリーコンピュータ ディスクシステム
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NES
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Atari 7800
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スーパーカセットビジョン
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セガ・マークIII
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セガ・マスターシステム
アタリショック後、北アメリカとヨーロッパではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北アメリカではコモドール64が、ヨーロッパではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特に1983年に発売された任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担い、1985年にはアメリカで海外版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され成功を収めた。RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来するATARI仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー(ゲームパッド)はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった。
- ファミリーコンピュータ、AV仕様ファミリーコンピュータ(任天堂、1983年・1993年)
- Nintendo Entertainment System(任天堂、1985年)
- ファミリーコンピュータ ディスクシステム(任天堂、1986年)
- ツインファミコン(シャープ、1986年)
- SG-1000、SG-1000II(セガ、1983年〜1984年)
- オセロマルチビジョン(ツクダオリジナル、1983年)
- PV-1000(カシオ、1983年)
- マイビジョン(日本物産、1983年)
- Atari 7800(アタリ、1984年)
- スーパーカセットビジョン(エポック社、1984年)
- セガ・マークIII、セガ・マスターシステム(セガ、1985年・1987年)
1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。
- 第4世代の据置機
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PCエンジン
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メガドライブ(米加墨を除く)
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スーパーファミコン
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TurboGrafx16
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Genesis(米加墨のみ)
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SNES
-
NEOGEO
従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が向上した。ステレオサウンドが標準になり、ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりROMの製造コストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用したCD-ROM2[12]が現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。
主なハードは、PCエンジン・メガドライブ・スーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方の北アメリカ市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた[13]。
アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でもX68000やFM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した。第4世代機はドット絵とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。
- PCエンジン(コアグラフィックス) 、CD-ROM2、SUPER CD-ROM2(NECホームエレクトロニクス、1987年(1989年)・1988年・1991年)
- TurboGrafx-16、TurboGrafx-CD(NECホームエレクトロニクス、1989年)
- メガドライブ、メガCD、スーパー32X(セガ、1988年・1991年・1994年)
- Genesis、Sega CD、32X(セガ、1989年・1992年・1994年)
- PCエンジンスーパーグラフィックス(NECホームエレクトロニクス、1989年)
- スーパーファミコン、スーパーファミコンジュニア(任天堂、1990年、1998年)
- Super Nintendo Entertainment System(任天堂、1991年)
- NEOGEO(SNK、1990年)
- ワンダーメガ、マルチメガ(セガ、1992年・1994年)
- X'eye(ビクター、1993年)
- Sega CDX(セガ、1994年)
- PCエンジンDuo(NECホームエレクトロニクス、1991年)
- TurboDuo(NECホームエレクトロニクス、1991年)
1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。
- 第5世代の据置機
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Atari Jaguar
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3DO Interactive Multiplayer
(写真は3DO規格機の一つであるPanasonic FZ-1) -
NEOGEO CD
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Playdia
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SEGA SATURN
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PlayStation
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PC-FX
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Pippin
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NINTENDO64
この世代では、従来のROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量がROMと比較して大きく、再プレスが容易であり、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。だが線でコントローラーと本体を繋いでるものが多い。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。
この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はセガサターン、PlayStation、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE。現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE))のPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。また、北アメリカではアメリカ・セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、サードパーティーが少なく、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北アメリカでは成功したが主流となることはなかった。日本でもPlayStationに大きな遅れをとることとなった。
北アメリカ最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなった。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。
- Atari Jaguar、Atari Jaguar CD(アタリ、1993年)
- Amiga CD32(コモドール、1993年)
- FM TOWNS マーティー(富士通、1993年)
- Laser Active / レーザーアクティブ(パイオニア、1993年)
- 3DO Interactive Multiplayer(松下電器産業・3DO、1994年)
- NEOGEO CD / ネオジオCD(SNK、1994年)
- Playdia / プレイディア(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1994年)
- SEGA SATURN / セガサターン(セガ・エンタープライゼス、1994年)
- PlayStation、PS one(ソニー・コンピュータエンタテインメント、1994年・2000年)
- PC-FX(NECホームエレクトロニクス、1994年)
- VIRTUAL BOY(任天堂、1995年)
- ルーピー(カシオ、1995年)
- Pippin(バンダイ・デジタル・エンタテイメント、1996年)
- NINTENDO64 / ニンテンドウ64、64DD(任天堂、1996年・1999年)
1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。
- 第6世代の据置機
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Dreamcast
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PlayStation 2
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ニンテンドー ゲームキューブ
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Xbox
3Dグラフィックスの表現力が上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。メディアとしてDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが導入された。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPlayStation 2に次ぐシェアを獲得したが、日本では一般にゲーム機が売れる年末を過ぎた2月に発売したり、初期不良やそれに関する対応などが批判を受けるなど振るわなかった。NINTENDO64の後継機のニンテンドーゲームキューブは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。
パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。
- ドリームキャスト / Dreamcast(セガ・エンタープライゼス、1998年)
- PlayStation 2(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2000年)
- ニンテンドー ゲームキューブ / NINTENDO GAMECUBE(任天堂、2001年)
- Xbox(Microsoft、2001年)
2000年代中盤 - 2010年代初頭を、この記事では「第7世代」とする。
- 第7世代の据置機
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Xbox 360
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PlayStation 3
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Wii
任天堂のWiiは、Wiiリモコンという体感型のコントローラを標準搭載し、高精細度ビデオ(HD)に対応したPlayStation 3とXbox 360も体感型のPlayStation MoveやKinectを発売した。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった。ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビのデファクトともいわれた[14]。
ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え新しい体感型として出し、高度なテクニックを要するゲームが苦手な人にとっても面白さが分かりやすく、同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし2世代振りにハードシェアでのトップになったものの、他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質がHD画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった。特に画質面において、2011年7月(一部の地域では2012年)に地上デジタル放送の完全移行を控え、高画質テレビ(主にHDテレビ)の普及率が大きく上がった事がWiiの長期展開にとって大きなミスとなってしまった。また、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになっていった[15]。
この世代ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。
- Xbox 360(Microsoft、2005年)
- PlayStation 3(ソニー・コンピュータエンタテインメント→ソニー・インタラクティブエンタテインメント、2006年)
- Wii、Wii Family Edition、Wii Mini(任天堂、2006年・2011年・2012年)
南アメリカやアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONEおよびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4も2009年発売された。
- Zeebo(Tectoy&Qualcomm、2009年4月)
- Tectoy Mega Drive 4(Tectoy、2009年8月)
- ZONE、SEGA Reactor(AtGames&セガ、2010年)
2010年代前半 - 後半を、この記事では「第8世代」とする。
- 第8世代の据置機
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Wii U
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PlayStation 4
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Xbox One
Wii Uが2012年11月、PlayStation 4とXbox Oneが2013年11月に、共に北アメリカ地域のホリデーシーズンに合わせて発売された。3機種全てで北アメリカ地域での発売が優先されている[16][17][18][19]。
2012年にはスマートフォンやタブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAやGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ[20]。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。また、2013年にはValve CorporationがSteamOS/Steam Machine/Steam Controllerを発表した。Steam Machineはかねてより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のパソコンゲームプラットフォームであるSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用ゲーミングPCの規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。
Gaikai/OnLive/PlayStation Now、Microsoft AzureやAmazon Web Services[21]のように各クラウドのサービス・プラットフォームが台頭し、NVIDIA GeForce GRIDやGクラスタ/Ubitus[22][23]などはSTBにも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた[24])。
- Wii U(任天堂、2012年)
- PlayStation 4、PlayStation 4 Pro、PlayStation VR(ソニー・コンピュータエンタテインメント→ソニー・インタラクティブエンタテインメント、2013年・2016年)
- Xbox One、Xbox One S、Xbox One X(マイクロソフト、2013年・2016年・2017年)
- PlayStation Vita TV(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2013年)
- マイクロコンソール
- Android搭載
- OUYA(OUYA, inc.、2013年)
- GameStick(PlayJam Inc.、2013年)
- GamePop(BlueStacks、2013年)
- M.O.J.O(Mad Catz、2013年)
- UNU/Vyper(Snake Byte、2014年)
- HUAWEI Tron mini game console(ファーウェイ、2014年)
2010年代後半 - 2020年代初頭を、この記事では「第9世代」とする。
- 第9世代の据置機
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Nintendo Switch
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Xbox Series X
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Xbox Series S
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PlayStation 5
任天堂はWii Uが短命となってしまい、他社に先行する形で2017年3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機としてNintendo Switchを発売[25]。ゲームボーイ発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された。Oculus VRは2019年5月、初のスタンドアローン型VRゲーム機であるOculus Questを発売。アタリはAtari Jaguar以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、Atari VCSを発表した。また、マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し、Intellivision Amico(英語版、シンプル英語版)を発表した。さらに、ソニー・インタラクティブエンタテインメントはPlayStation 5、マイクロソフトはXbox Series X/Sを2020年11月にそれぞれ発売している。
この時期からはゲームハードのさらなる高性能化、動画配信サイトの普及によるゲーム実況の人気の高まり、半導体不足、そして営利目的の転売の横行などから、特に発売直後のゲームハードがしばしば供給不足に苦しむようになる。Nintendo Switchは発売3ヵ月が経過しても品薄状態が収まらず、任天堂が公式に謝罪文を発表する事態となった[26]。また2020年には新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって巣ごもり需要がさらに高まり、PlayStation 5などはハードの供給不足が原因でゲームソフトの深刻な販売不振が発生[27]、日本国内では発売から2ヵ月経ったにも関わらず、店頭販売に人が殺到し警察が出動する騒ぎも起きている[28]。
この世代ではクラウドゲームサービス・プラットフォームも注目を集めており、Google、Amazon、Facebook、NVIDIAが参入した。
- コンシューマーゲーム機
- Nintendo Switch、Nintendo Switch(有機ELモデル)(任天堂、2017年・2021年)
- Oculus Quest、Oculus Quest 2→Meta Quest 2(Oculus VR、2019年・2020年)[29]
- Xbox Series X/S(マイクロソフト、2020年)
- PlayStation 5、PlayStation 5 デジタル・エディション(ソニー・インタラクティブエンタテインメント、2020年)
- Atari VCS(アタリ、2021年)
- Intellivision Amico(英語版、シンプル英語版)(マテル、2022年)
- クラウドゲーム機・サービス
- Google Stadia(Google、2019年 - 2023年[30])
- Apple Arcade(Apple、2019年)
- OOParts(Black Inc.、2020年[31])
- GeForce Now(NVIDIA、2020年[32])
- Xbox Cloud Gaming(マイクロソフト、2020年[33][34])
- Amazon Luna(Amazon、2020年[35][36])
- Facebook Gaming(Facebook、2020年[37])
- Plex Arcade(Plex、2021年[38])
1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。
- 第1世代の携帯機
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Mattel Auto Race
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Mattel Football
-
Merlin(ドクタースミス)
ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。
- 電子ゲーム
- Mattel Auto Race(マテル、1976年)
- Mattel Football(マテル、1977年)
- Merlin(パーカー・ブラザーズ、1978年)
1980年代前半 - 中盤に当たる。
- 第2世代の携帯機
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Microvision
(Block Buster) -
ゲーム&ウオッチ
(ドンキーコングII) -
ゲームポケコン
据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。
1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した携帯ゲーム機の1つである。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後にの主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用された。任天堂、バンダイ、トミー、タイガー・エレクトロニクスと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードゲームの移植も盛んであった。1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売した。1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されたが、商業的には失敗に終わった。
- Microvision(ミルトン・ブラッドリー、1979年)
- ゲームポケコン(エポック社、1984年)
- 電子ゲーム
- ゲーム&ウオッチ(任天堂、1980年)
- ゲームロボット九、ゲームロボット5(タカトクトイス、1982年頃)
- テクトロン(Tectron)(バンダイ、1980年代前半)
- LCD SOLARPOWER(バンダイ、1982年)
- Tomytronic 3D(トミー、1983年)
1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。
- 第3世代の携帯機
-
ゲームボーイ
-
ゲームギア
-
PCエンジンGT
ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置機とほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機が登場してからも電子ゲームは販売されており、この世代ではバーコードバトラーが発売された。
- ゲームボーイ(任天堂、1989年)
- Atari Lynx、Atari Lynx II(アタリ、1989年、1991年)
- ゲームギア(セガ、1990年)
- PCエンジンGT(NECホームエレクトロニクス、1990年)
- 電子ゲーム
- バーコードバトラー(エポック社、1991年)
1990年代中盤 - 後半に当たる。
- 第4世代の携帯機
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ノーマッド
-
ゲームボーイ
カラー -
ネオジオポケット
-
ワンダースワン
スペックは据置機の第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。電子ゲームでは1996年にバンダイから発売された、たまごっちが1997年にヒット商品となった。
- ノーマッド(セガ、1995年)
- ゲームボーイポケット、ゲームボーイライト(任天堂、1996年・1998年)
- game.com(タイガー・エレクトロニクス、1997年)
- ネオジオポケット(SNK、1998年)
- ゲームボーイカラー(任天堂、1998年)
- ワンダースワン(バンダイ、1999年)
- ネオジオポケットカラー、NEWネオジオポケットカラー(SNK、1999年)
- 電子ゲーム
1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。
- 第5世代の携帯機
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ビジュアルメモリ
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ポケット
ステーション -
ワンダースワンカラー
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ゲームボーイアドバンス
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N-Gage
反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据置機の第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。ビジュアルメモリとポケットステーションは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた。N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も登場した。N-GageはS60を搭載し、2008年にはアプリケーション・プラットフォーム化した。
- ワンダースワンカラー、スワンクリスタル(バンダイ、2000年、2001年)
- ゲームボーイアドバンス、ゲームボーイアドバンスSP、ゲームボーイミクロ(任天堂、2001年・2003年・2005年)
- ポケモンミニ(ポケモン、2001年)
- GP32(GamePark、2001年)
- N-Gage、N-Gage QD(ノキア、2003年・2004年)
- 据置機の外部記憶媒体
- ビジュアルメモリ(セガ、1998年)
- PocketStation(ソニー・コンピュータエンタテインメント、1999年)
- 電子ゲーム
- ポケットサクラ(メディアファクトリー、2000年)
2000年代中盤 - 末期に当たる。
- 第6世代の携帯機
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ニンテンドーDS
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ニンテンドーDSi
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PlayStation Portable
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PlayStation Portable go
ニンテンドーDS(以下DS)とPlayStation Portable(以下PSP)によって二分された。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。DSはブルー・オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはインターネット接続へのハードルを下げたニンテンドーWi-Fiコネクション[39]や、タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「Touch! Generations」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。
PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載した。日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。そして、タカトクトイスからゲームロボットを継いだハナヤマは、ゲームロボット九の復刻電子ゲーム機、ゲームロボット21を発売した。
- Zodiac(Tapwave、2003年)
- ニンテンドーDS、ニンテンドーDS Lite、ニンテンドーDSi、ニンテンドーDSi LL(任天堂、2004年・2006年・2008年・2009年)
- PlayStation Portable、PlayStation Portable go(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2004年・2009年)
- GP2X、GP2X Caanoo(GamePark、2005年・2010年)
- Dingoo A320(Dingoo、2009年)
- Pandora(OpenPandora、2010年)
- 電子ゲーム
- ゲームロボット21(ハナヤマ、2005年)
2010年代初頭 - 後半に当たる。
- 第7世代の携帯機
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ニンテンドー3DS
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New ニンテンドー3DS
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PlayStation Vita
2008年にiPod touch/iPhone/iPadといったiOS用のApp Store[40]、Android用のGoogle Play(旧:Android Market)が提供されて以降、スマートフォンやタブレットといったスマートデバイス向けのゲームのシェアが拡大していた。さらにそれらをゲーム向けに特化させたゲーム機も登場し、2013年にはGPUメーカーとして知られるNVIDIAがTegra/Android搭載のNVIDIA SHIELD Portableを発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はパソコンをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。スマートデバイス用OSにもゲームを意識した機能が盛り込まれた[41]。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。
対する3DSやPS Vitaにも、カメラによるARやコミュニケーション・ソーシャルを意識した機能が多数盛り込まれた。しかし、SIEはこの世代をもって携帯ゲーム機市場から完全撤退した。
- ニンテンドー3DS、ニンテンドー3DS LL、ニンテンドー2DS、Newニンテンドー3DS、Newニンテンドー3DS LL、Newニンテンドー2DS LL(任天堂、2011年・2012年・2013年・2014年・2017年)
- PlayStation Vita(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2011年)
- NEOGEO X(SNK、2012年)
- Arduboy(Arduboy Inc.、2016年)
- Android搭載
- Xperia PLAY(ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ、2011年)
- Archos GamePad(Archos、2012年)
- Wikipad(Wikipad、2013年)
- 電子ゲーム
- ゲームロボット50(ハナヤマ、2013年)
- ゲームロボット25(ハナヤマ、2014年)
2010年代後半以降に当たる。
- 第8世代の携帯機
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Nintendo Switch Lite
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Playdate
スマートデバイスの性能向上が続く中、市場はパソコンゲームや据置ゲームを遊べる携帯端末を作るという方向性に進み、GPD Win、ONEXPLAYER、AYA NEOのような携帯ゲーム機の形をしたゲーミングPCが流行。2022年のSteam Deckはヒット商品となった[42]。
対する任天堂も据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機、Nintendo Switchを2017年に発売し、携帯機市場の歴史を変えた(持ち運べる据置機の扱いとして詳細は第9世代に記載)。派生として、その携帯モード特化型廉価版であるNintendo Switch Liteが発売された。
その一方でレトロ路線としてあえてモノクロで勝負したPanic Inc.のPlaydateも発売されている。
- Nintendo Switch Lite(任天堂、2019年)
- Playdate(Panic Inc.、2022年)
- Arduboy FX(Arduboy Inc.、2022年)
- 電子ゲーム
- ゲームロボットai(ハナヤマ、2020年)